
音楽には、はっきりとした「正解」はないです。
同じ作品でも、演奏する人によって解釈や表現がまったく違っていて、それぞれに個性があります。
自分なりの音を探して、表現していく。そんなプロセスはとても創造的で、どこか人生にも似ているなと感じます。
人生もまた、「何が正しいのか」という問いに対して、ひとつの明確な答えがあるわけではないと感じています。
人それぞれ、育ってきた環境や考え方が違うからこそ、それぞれが自分のペースで、自分の答えを探しながら生きている。
それでいいし、むしろ答えが一つじゃないことこそが、人生の本質なのかもしれません。
一方で、義務教育では「正しい答えを出す力」や「早く処理する力」が大事にされているのかなと考えています。
たとえば、英単語の意味を正しく覚えて、テストで素早く答えられれば高く評価される。
それはもちろん大切な学びで、論理的に考える力や、知識を身につける力は、社会の中で生きていく上でも欠かせない事だと思います。
でも、人生すべてが「早く・正しく答える」ことで評価されるわけではないと思います。
ときには答えのない問いに向き合ったり、見えない中でじっくり考えたりすることも、すごく大切な経験です。
そういう力を育てる場所として、音楽や芸術はとても意味のある存在だと思っています。
私自身、常に「正解のない音楽」と向き合うなかで、自由であることの難しさを感じることがあります。
制約がないというのは、一見楽そうに思えるけれど、どこに向かっていいか分からず、迷ってしまうこともあるんです。
そんなとき、逆に“答えがある”勉強に取り組むと、頭がすっきりして、いいリフレッシュになることがあると聞いたことがあります。
ちなみに、私が尊敬しているバイオリニストの神尾真由子さんが、
コンサートの前に数学の問題を解いていたというエピソードをテレビで見て、「なるほどな〜!」と納得しました (^-^)
きっと反対に、毎日たくさんの「答え」を求められている学生さんたちにとっても、音楽のような自由な世界は、心を潤す時間になるんじゃないかなと思います。
こうした経験を通して、私は音楽教育は、感性を育てる大切な場だと実感しています。